311東日本大震災から6年を振り返ると神も運もない世界だった

 

東日本大震災、いまだに復興が完了していないですね。

 

あの日は、6年前の2011年3月11日、時間は午後の14時46分まだまだ、記憶から消えない最悪の1日になりました。

 

あなたは、あの日どこで何をしていたのか、当時の記憶、気持ち覚えていますか?

 

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あの日の私は、青森県の八戸市っていう震災地?被災場所?で営業をしていました。

 

その日は3月という事で、道路周りの雪は溶けているもののどんより曇り空の肌寒いまだまだ小雪が舞う日でした。

 

ちょうど、八戸駅の近くのドラッグストアの駐車場でお客さんと電話してたんです。

 

すぐやむだろうとしたその地震が正に東日本大震災の始まりでした。

 

地震が止まらないこともあり電話をきりました。

 

周りを見渡すと、おばちゃんがあまりの揺れに道路を張って避難してきました。

 

車に乗っていたこともあり、揺れが半端なく外に出ようとしましたがドアを開けた瞬間、ドアが揺れで戻って閉じ込められなんとか外に出たときは、やはり立っていられないゆれだった事をいまだ覚えてますね。

 

家族の安否を確認するにももはや電話も通じなくなっていました。

 

外は、地震被害で停電になり信号は止まりお店の電気も消え周り一面真っ暗な世界がつつみました。

 

外からは、信号が止まったことが原因か、キィ~~、ドン、ピーポーピーポーと鳴り響いている。

 

その中、家族の安否確認のために自宅に戻りました。

 

確認が出来たときには夜になっておりました。

 

そのご、いつでも避難できるようにガソリンを詰めようとしても長時間並んでもつめれない状態。

 

生活を物に依存した自分たちの存在を悲しくも思ったものです。

 

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私たちは運が良かったといえば語弊があるかもしれませんが津波被害は少なく済んだことは事実です。

 

私の家族は、たまたま東日本大震災がおきた2011年2月に新たな場所へ引っ越しました。

 

以前住んでいた家は2階建てではありましたが歩いて太平洋の海に行ける距離にありました。

 

津波がひいた後に以前の自宅に行ったら2回までしっかり飲み込まれていました。

 

近くの電柱にも波がどの位置まで来ていたのか、ごみと波跡がついて居たことからもわかりました。

 

もし、あそこに住んで居たなら私と妻は仕事で助かったかもしれませんが祖父、祖母、2歳と3歳になる二人の娘とは二度と会う事はない人生にあったのではないかと考えています。

 

しかし、津波被害でいまだ家族が会えない人達も多くいるのも事実です。

 

きっと、その中には今年はすごく運がいい年になりますよと言われた人。

 

大殺界から抜けて運気があがってくるって言われた人もいたでしょう。

 

厄から抜けてこれから幸せな年になってくるって人もいたでしょう。

 

人は、とかく幸せな生き方を求めて占いや風水や神頼みをしています。勿論すべての人ではありませんがね!

 

しかし、このような結果をみればやはり風水占いや神頼み的な事は迷信なんでしょう?

 

私もこれまで「験を担ぐ」行為を人生42年の中で行ってきました。

 

しかし、改めて6年を振り返ると自身の運命なんかはなく、人はすべては偶発的な世の中におかれ天変地異の中ではどんな人間も無力なのではないかとおもいます。

 

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